通りに入って二百メートル位の所で私たちは降ろしてもらった。そしてそのまま目の前のHotel Payalに入った。薄暗い階段を上がると、ソファに弱ったじいさんが横たわり、ぼろ机のカウンターに髭を生やしたおっさんがいた。
「空いてる部屋はある?」
「ダブルでシャワー、エアコン付きのが二百ルピーだ」
「そりゃ高いよ」
宿代を決めるときは、こんな感じで交渉となる。お互い納得がいく所で落ち着けば気分よく泊まれる。執拗に値下げを要求しすぎて向こうが不機嫌になったり、いいように高値で押し切られたりすると、不快な夜となる。金銭を越えたところでも、この交渉は大事なのだ。
「エアコンはいらない。それにツインにしてくれ」
安くすむということもあるが、それ以前に私はエアコンが嫌いである。寝起きがとても不快なのだ。それで、いつもどんなに暑くてもエアコンなしの部屋を頼む。小林君には「安くすむから」と了承してもらった。
「ツインはない。エアコンなしで百五十だ」
まだまだ引き下がらない。
「百二十にして欲しい」
「それはできない」
本当はできる。笑顔をつくり、
「百二十ルピー、プリーズ」
でもおっさんは首を横に振った。ここで最後の手を使う。
「ならほかをあたる、それじゃ」
おっさんに背を向けた。
「待て、待て、分かった百二十だ」
そして駄目を押す。
「二人でだな。一人当たりじゃないぞ」
値段は決まった。
「じゃ部屋を見せてくれ」
鍵を持った少年と一緒に部屋を見に行った。
ドアの内鍵はかけられるようになっている。窓の外は何もない。壁が真っ直ぐ下まで続いている。人がつたって来られるものはなく、四階だから窓に鍵がなくても大丈夫だ。シャワーも出る。トイレは詰まっている様子はなく、紙も使える。扇風機も回った。部屋の明かりもすべて点く。特に問題はない。借りることに決めた。
危険は突然やってくる
これらのチェックは大事だ。一度窓に問題がある部屋を選んだために怖い思いをしたことがある。それはタイのピーピー島での夜のことだった。
ガサガサ、ガサガサ、という草をかき分ける音で私は目覚めた。‘しまった’と心の中で呟いた。旅慣れてきて油断した私は、窓が壊れかかっている部屋に泊まっていたのだ。そっと起きて、耳をそばだてた。足音はどんどん近づいてくる。そして、部屋のすぐ外で止まった。
‘ガタガタ、ガタガタ’
そいつは窓を揺らし始めた。何とかしなければ。
‘ガタガタ’
なおも窓は揺らされ続ける。壊れかけた木枠の窓などすぐにとられてしまう。
何を思ったか、私はとっさに窓に向かい、‘がばっ’とカーテンを開けた。
そいつの顔は目の前にあった。一瞬お互いに‘ぎょっ’としてややのけぞった。三秒ほどにらめっこをしてから、そいつは静かに動いて窓をきゅっきゅっと左右に動かした。‘取れそうだけど大丈夫だろう’というかのごとく。固まった私はそれをじっと見つめた。彼はチェックを終えた。そして、私などいなかったかのように、平然と去って行った。窓から離れて制服が分かった。彼は警察官だったのだ。
この時はたまたま警察官だったから良かったが、気が動転した私はとっさにカーテンを開けるという、訳の分からないことをしてしまった。貴重品を持って逃げだせばよかったのに、カーテンを開けて固まってしまった。そいつが凶器でも持っていたらひとたまりもなかった。
この時の教訓として、強く心に残ったことがある。危険は突然やってくる。そして、‘気づいたときはほぼ手遅れだ’ぐらいの心構えを持つべきだ。宿泊前のチェックは怠ってはいけない。そして、危なくなったらとにかく逃げることだ。