バッグパックをワイヤーと錠前でベッドにくくりつけて、ビールを飲みに二人は出掛けた。通りは店が軒を連ねているため結構明るい。人込みをかき分け、食堂を探した。ゆっくり歩いていると、
「ヘイ、ジャパン」
と髭を生やした若いのが、カリフォルニアに住むアメリカ人みたいに明るく声をかけてきた(こんな感じのインド人は彼しか会わなかった)。
「カシミールに行かないか」
どうやら旅行代理店の人らしい。思った通りに旅をするには、まずカルカッタからデリーに戻る航空券を手に入れなければならなかった。カルカッタまで列車で行っても、デリーに戻って来られなければ日本に帰れない。そして、その発券までの手間は、できれば旅行代理店に任せたかった。
信頼できる旅行代理店を見つけると、とても助かる。タイではバンコクのカオサン・ロードにいたときに、A.M.ツアーという旅行代理店をよく訪れた。そこには当時私と同じ歳位の(二十五歳位)男と三十歳位の女の人がいた。ネパールの後はバンコクを起点として、ベトナム、カンボジア、マレーシア、シンガポール、インドネシア等の国々を回ろうと思っていたが、どのルートでどうやって行けば面白く、安く、帰るまでに沢山の所を回れるかを色々と相談に乗ってもらった。結局は、マレーシア、シンガポール、そしてタイに戻って、カンボジア、ベトナムと順に回ることになり、スタートのバンコクからプーケットまでの長距離バスや必要な航空券すべて、ベトナムのヴィザ、そしてカオサン発ドン・ムアン空港(タイの国際空港)行きのバスまで、皆とってもらった。しかも、丁度いい日時の一番安くできる航空会社を探してもらって。東南アジアの旅が、充実したものになったのは、A.M.ツアーのおかげだったし、仲良くなった彼らの所に行くのは、カオサンでの私の楽しみの一つでもあった。
インドでも、信頼できる旅行代理店が見つかればいいのだが、と期待していた。しかし、情報によると、旅行代理店はほとんどあてにならないらしい。せいぜい政府がやっている旅行代理店しか信頼できない、ということだった。では、この声をかけてきた旅行代理店の面々はどういう類の連中で、任せられる人達なのか。それを探ってみようという気で彼についていってみた。
細い階段から狭い二階に上がると、ベッドで寝ている赤ん坊と、ソファで寝ているその母親がいた。そして、たった一つの机を前に太った主人がいた。
「ハイ、ジャパン」
握手を交わした。と、彼は「カシミールはいいところだぞ」と自分達の得意分野の宣伝を始めた。雪が一面にある冬の写真と、花が一斉に咲いている春の写真は確かに綺麗だ。しかし、私は、カシミールに行くつもりはない。しかも、そこはインドからの独立、パキスタンへの帰属問題を巡ってゲリラが出没する危険地帯だ。
「カルカッタ-デリーの航空券が欲しい。それはいくらだ」
と聞いた。すると、主人は奥さん(きっと)を起こした。
「カルカッタ-デリーは幾らだ」
寝ぼけ眼の彼女は、
「九十九ドル」
と答えた。相場通りだ。ぼろうとはしていない。あてになるかもしれない。
ルピーで払った方が安く上がる場合があるらしいので、
「何ルピーだ」
と聞いてみた。また主人は奥さんに
「ルピーで幾らだ」
と聞いた。この主人はまったく分かっていないらしい。奥さんは面倒臭そうに計算した。
「はっきりしたレートは明日にならないと分からないけれど、大体二千六百八十ルピーよ」
と答えた。一ドル八十円そこそこで、一ルピー三円弱だから、これも相場通りだ。とりあえず予約だけを入れておいてもいいだろう。明日にはチケットを手に入れられるということなので、突然値段を上げてきても他のところに変える余裕はある。
それから、見当違いの日時にしてこないように、
「五月三日の朝だぞ、午後にしたら国際便に乗り遅れるかもしれないから」
と三回念を押した。三回も言えばいくらなんでも大丈夫だろうと思いたくなるところだ。でも、ここは日本じゃない。さらに、
「何日のいつの便だっけ?」
と聞いた。主人は、
「………」
答えられない。全然覚えていない。この辺があてにならないところである。そこで、紙に書いて、それを読んでもらった。これで日時の間違いはなさそうだ(きっと)。つぎに金だが、チケットと交換しようと思ったが、それはだめらしい。もらった金でチケットを買ってくるのだそうだ。つまり、彼らは現金と引換えにチケットを買ってくるだけなのだ。そして、立て替えるだけの金は彼らにとっては大金だし、もしチケットをとりに来ない客がいたら、彼らの生活には大変なダメージとなる。だが、私は、千ルピー程しかもっていなかった。しかも、こっちもリスクは負いたくないから、四百なら払えると言った。向こうは客を失いたくないから、しぶしぶOKということになる。チケットの受取は翌日の午後十時(日帰りでタージマハールに行く予定だったので)あるいは、その時間に私が来られない場合は翌々日の午前十時ということにした。
「明日は受け取れないかもしない」
と言ったとき、主人は不安そうな顔をした。“ずっと取りに来ないかもしれない”と思ったのだろう。しかし、私としては、ちゃんとチケットを用意する気だなと逆に安心した。