目的地へ行こう

まだたどり着いていない人のブログ。

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何故旅をしたかったのか~その2

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 この手記の中で私は三回怒鳴っている()。“価値観が違い、今までの経験がまったく通用しなくて、自分の力を頼るしかない状況でどれだけやれるか、試したいのである。そして、その時の緊張感がたまらないのである。この緊張感というのは決して生まれ育った土地にいては味わうことはできない。まったく知らない人、分からない土地、違う価値観の中で生きていかねばならないという緊張感である”(「何故ハードな旅をするのか」)。この緊張感、そして異国の地にいることによる現実からの解放感。これが私を怒鳴りやすくした。

 一方、“一人旅をして、一番痛烈に感じることは何かと言えば、‘一人だけで出来ることは限られている’ということだ。”(「助けられて一人旅は続く、カンボジア内戦の終わり~その1」)と書いてある。しかし、当時は自分に限界があることを認めてはいなかった。もっと自分で出来ると内心では信じていた。だから、もっと旅をしてもっと自分の力を試して、出来ることやうまく対処できることを増やしていこうと思っていた。諦めた目を持った人たちを見たとき、彼らの出口のない境遇にショックを受けたが、反対にそのとき自分は、‘決して諦めない’、‘前向きに行けば何だって可能性がある’、と思っていた。

 限界はあるけれど、自分の限界を認めたくはないという矛盾。マザー・テレサは、もう助からない人を前にして、祈る。それは限界を悟ったからだと私は感じているのに、あえて難しくして、自己満足だろうかと疑問を書いている。

 限界があると助け合う。お互いに助け合わなければならないときに何人(なにじん)という境目はなくなる。インドだとか日本だとかはなくなる(「助けられて一人旅は続く、カンボジア内戦の終わり~その2」)カルカッタで警官に助けられバイクに乗せてもらって飛ばしたとき警備兵に怒鳴られるAJAYのことを「彼は私の友達なんだ」と助けたとき、私は嬉しかった。価値観の異なる人たちと一体感を得ていた。

 助け合うことには状況次第での距離感がある。日常の中でのちょっとしたこと。多少危険を感じているときに救ってもらうこと。生死に関わるとき。しかし、距離が近すぎる援助は無用なもので、例えば貧富の差を生み出したりする。この状況次第の距離感はネパールでインドでも、その場面になる度にフィリピンでの教訓を生かした。

 適度な距離でうまく助け合ったときに感じたことはいつまでも強く残っている。だから、当時は分からなかったが、どうしても旅をしたくなっていた理由にあとで気が付けた。限界のあるときに助け合って、受け入れ合いたかったということだ。

 バックパッカーとしての最後の旅で、私はラオスの少数民族のお祭りに飛び入り参加して、一緒に踊り酒を飲み食事を振舞ってもらった。バスの乗り換え地点の村でその祭りを目にしたのだが、素朴な人たちで危なさは感じなかった。そこで祭りの中に入っていくと、旅をしている私を歓待してくれたのだった。

 力が取れて少し楽になった。

 私は混沌に引き込まれない、秩序の世界にいて旅をする人間だ。生い立ちの中で持っているものを捨てることはできない。必ず日本に生きて帰ってくる旅行者だ。それで良いのだ。限界を知るのは諦めることではなく、自分を受け入れ異なることも受け入れること。自分の捨てられないものを知っているけれど、他国の異なる価値観の人たちと受け入れ合える。刺激ある旅行で緊張感を感じながらも、助け合って一体感を持つ余裕もできた。もう十分。現実の自分の住むべき場所で地に足を着けて生活をして行くのだ。