メインバザールに戻った。騒がしい、暑苦しい、むさ苦しい。いろんな連中がごった返している。歩きだすなり、太ったおばさんが私の袖をひっつかんだ。何かのマークの布切れをシャツにつける気だ。
「な、なんだよ!?」
おばさんは無言。表情も変えない。ただ安全ピンの先をじっと見つめ、シャツに突き立てようとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
このマーク、もちろんいらない。でもおばさん、真剣な目つきでなおも安全ピンの先を見つめる。引っ張ってみた。おばさん、引っ張り返す。また引っ張ってみた。また引っ張り返す。道の真ん中の攻防が始まった。額に汗を滲ませ、口を真一文字に閉じたまま、シャツを掴んだ指先はますます力強くなり、その目はますます針先に集中した。
「伸びるでしょうが」
それでも、おばさんは針をつき立てた。なんて強引な。なんて強情な。たかが布切れ一枚じゃないか(私にも言える)。ぐいぐい引っ張り合っているうち、ついに、シャツの袖はびろんびろんになった。こっちも袖口を引っ掴んだ。
「こーのーやーろー」
力を振り絞って、むむむむっと思いっきり引っ張った。
‘すぱっ’
ついにほどけた。私は勢い余って一回転し、向かい合ったおばさんを驚嘆の目で見た。しかし、おばさんは、何も言わない、表情も変えない。布切れをめぐる争いの余韻などに浸っていない。ぷいっと背を向けて次のターゲットに向かっていった。
‘何なんだ。いったい’
ことの次第を見ていた白人のおじさんと目が合った。彼は静かに首を振り、そして静かに微笑した。
次に現れたのはバングラディッシュから来たという少女だ。とってもバングラディッシュは貧乏だからお金をちょうだい、と箱をぶらさげている。悲しい顔をしてプリーズと懇願する。ちょっと心を動かされた。でも、着ているものはボロボロではないし本当にバングラディッシュから来たのか分からないから、何もあげない。事情があるのだろうけど、物乞いにはならないで欲しい。
次に現れたのは髭面の若い奴だ。
「ハイ!コンノート・プレイスでお前を見たぜ。さっき銀行に入ってったろ。俺が目の前にいたの覚えてるか」
いきなり叫んだ。でっかい声だ。“この人は現金持ってます”って宣伝するこたないだろう。
「知らないよ」
相手にしないのが一番、一番。
「嘘だ。覚えてるはずだ」
「しーらーなーい」
足早に歩き去った。
メインバザールでは、わずか二、三百メートル歩くうちに、これくらいのことが起きる。