こうなったらついでにメインバザールまで歩いてしまおう。どんどん思わぬ事態となってきたが、歩くのも面白いだろう。
そうとなれば、まずは現在地を確かめねばならない。地図を見ると、デリー門を左に曲がれば後は道なりでメインバザールに着く。デリー門はすぐ近くのはずだ。通りすがりの人に聞いた。
「デリー門はどこですか」
「デリー門?」
彼は少し考えてから、‘それだよ’と目の前の大通りの真ん中にある建物を指さした。
怪しい。
彼の態度はどこか怪しい。ただでさえインド人は怪しいのに、怪しいと感じるときはとっても怪しい。彼らの基本的な性向というものはたった三日でうんざりする程分かっていた。だから、別の二人にそれぞれ聞いてみた。やはり、もう少し先に見える建物だと二人とも答えた。どうやらこっちの方が正しそうだ。
歩道は幅五メートル位で中途半端に舗装されたでこぼこの道だ。コンクリートがその形跡を留めないほど崩れ、石ころがごろごろ転がっている。ここは、それでも生活の場である。その道の脇には商売道具兼住居のじんリクシャーがとまり、居住者が寝ている。壁際には帆を張った住居がある。両脇を囲っただけの男専用の便所もあった。それに道端の所々で井戸水が汲み上げられるようになっている。下半身すっぽんぽんの子供がちょろちょろ歩いていた。そして、万歳をした神(人間?)の型の鉄板が差し込まれた、四角い缶を何度か見かけた。目の部分に穴が開けられている。手と首に花輪が掛けられ、缶の中では煙が焚かれている。宗教的なものだろう。親子がしゃがみこんで手を合わせた。
道端には床屋がいて、髪を切っている。東南アジアでもよく露店の床屋を見かけたが、彼らは椅子に座っていた。しかし、ここでは地べたに座っている。小さく汚れた鏡が街路樹にかけられ、散髪道具は敷かれた布の上に並べられている。ゆっくり、しかし大雑把に髪は切り落とされていく。
ある、帆を屋根がわりに張った家には、テレビが置いてあった。そこには、人が集まり、皆熱心に見入っている。警察官も一緒になって見ている。その家の横では人が集まるのを見込んで、チャイ屋が店を出していた。
道を行く男同士はよく手をつないでいる。同性愛なのではなく、仲がいいとよくやることらしい。小学校以来そんなことをしたことがない私には、いい歳をして手を握り合う男二人は、どうしても滑稽に見えてしまう。
交差点には映画のでっかい看板がある。すべて絵だ。ド派手な色彩を使い、薄汚れた町並みではその一角だけが際立ち、浮き上がっていた。
所々でカメラを取り出して写真を撮ると、大人は珍しげに覗き込み、子供は近づきカメラに触れようとする。‘ウィー’と音が鳴ると、どうしても興味を抑えきれないようだ。目を見開いてじーっと見つめる。
歩くのもまた面白いものである。