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値切り交渉

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 次の日は九時位に起きた。といっても朝早くから外は騒がしく、何度も眠りから引きずり出されそうになったのだが。空港からバスで一緒に来たフランス人が、メインバザールはうるさくて泊まりたくない、と言っていたがやはりその通りだ。アジア諸国の朝は早い。だから、賑やかな通りから離れて泊まらないと外の騒がしさにたたき起こされる。もちろん安い所に泊まって防音設備などなっていないこともある。が、朝が早いのには他に訳がある。例えば、電気が十分には普及していない。そこまではいかなくても、電気代がもったいない。照明が不十分で暗い。テレビが夜遅くまでやっていないとか普及していない。あるいは店が遅くまでやっていない。こんなところだろう。暗くなったら何もすることはないから早く寝て、外が明るくなれば起きる。夜更かしの朝寝坊というのはテクノロジーと豊かさの産物なのだ(当ったり前のことなのだが、普段はそんなこと考えもしない)。カンボジアなんかは、夜明けとともに五時位からかなりの騒がしさだった。

 小林君とはHotel Payalで別れ、今日からそれぞれの旅をする。彼は鉄道のインフォーメーションへ、私は騒がしくない宿を探しに。自分の足で旅をすれば、一日の終わりに振り返ってみると必ず何かが起こっている。忘れることのできない何かが。彼とは帰りの飛行機が同じだから、それぞれの土産話をもってまた再会するだろう。

 

 Hotel Payalからニューデリー駅の方角に少し歩くと、左に車も通れない細い道があった。そこを奥に入っていくと小さな広場の前にゲストハウスが一軒あった。しかし、ここでもまだ騒がしすぎた。それに広場にいる数人が、こちらをじっと見た。何となく嫌な感じがした。そこでもう少し進んでから入口が小綺麗な宿を見つけた。Silver Palace Hotelとある。フロントには無愛想なおっさんがいた。

「一泊いくら?」

「シングルで百五十ルピーだ」

「高すぎる。まけてよ」

「いくらならいいんだ」

「八十ルピー」

値切りすぎのようだ。彼は少し怒った。

「そんな部屋はない。エアコンがつかないぞ」

ここは逃さない。

「エアコンはなくていい。それで八十だ」

「百二十の部屋ならある」

もう少しまけてもらいたい。

「せめて百だ」

「No」

もう最後の手段だ。

「わかった。それなら他をあたる」

と、帰るふり。

「ちょっと待て。百でいいから」

 帰るふりをするという手が通用しなかったのは、(当時)私の経験では中国(北京)くらいだ。彼らはしぶとい。帰ろうとしてもひきとめることはない。びた一文もまけようとはしない。そのくせ油断すればがんがんつりあげてくる。二百六十八元の宿泊代がなかったから、荷物を預かってもらってトラベラーズチェックを換金して戻ると、一泊二百七十六元と料金表が変えられてあった。たまたまそういう人に出くわしただけなのだろうか。それとも、‘お客様’という感覚のない共産主義の影響だろうか。理由は定かではないが、とにかく彼らから値切るのは簡単にはいかなかった。

 部屋を確かめてからフロントに戻り、百ルピーを払おうとすると、また百二十ルピーだと、無愛想なおっさんは言い始めた。

「俺は百だと聞いたから借りることにしたんだ」

「そんなこと言ってない。百二十だ」

おっさんは決意を固めていて、また帰るふりをしたらもはや呼び止めなさそうな勢いを感じた。これはまずいと思っている時、もう一人、フロントにいた青年が話に入ってきた。顔は日本人に似ている。きっとネパール系だ。

「分かった百でいいよ」

彼はおっさんに相談することもなく、経緯を話すとあっさり決めてくれた。記帳のとき他の人の値段を見ると、百というのはやはり破格の値段である。今日一日のスタートは幸先がよかった。