アンコール=トムの中心地バイヨン寺院は、林立する石塔それぞれの四方に微笑する顔が大きく彫られている。いわゆる『バイヨンの微笑』と呼ばれているもので、その数は百九十六もある。寺院の中に入れば、どこを向いても石の彫刻に微笑みかけられるのだ。私たち二人はそれにすっかり魅せられ、最後にもう一度寺院に立ち寄った。そして、また心地よく微笑の中に立った。
‘パン、パン、パン’
紙鉄砲を鳴らしたような乾いたちゃちい音が聞こえた。
「何ですかあれは」
‘パン、パン、パン’
「あれはライフルだな」
百か国以上回っている六車さんは、ライフルの音を聞いたのは初めてではない。
「近いですか」
「いや遠いでしょ」
その後も乾いた音は断続的に鳴った。だんだん気味が悪くなってきた。
「そろそろ帰りましょう」
「そうしましょう」
何事もなくプノンペンに帰りついてから、ちょうど行き違いでシェンムリアップから戻った人の話を聞いた。彼はシェンムリアップに向かうのに、船を使ってトンレサップ川を昇っていたのだが、突然ジャングルの中から船は狙い撃ちされた。皆床に伏せて、けが人はなくその時はすんだ。それからシャンムリアップに着いて、私たちが泊まった所よりもクメール=ルージュに近い大分北側に彼は宿をとった。それが失敗だった。夜中の十二時に銃声でたたき起こされた。そのゲストハウスの近辺で銃撃戦が始まったのだ。宿泊客一同はロビーに集まり、銃の音に耳を済ませた。そして、二時。最初は笑顔をつくっていた宿の主人が、ついに半泣きになってまたロビーに顔をだした。その顔を見たときの一同の恐怖は、想像を絶するものだったろう。結局、何も起こらず朝を迎えたのだが、それはまさに幸運であったと言えるだろう。
そして、私の泊まった所の近くに記者等が泊まる大きめの宿があったが、そこに銃弾が撃ち込まれていたそうである。安全な地域だと思っていたのだが。知らぬが仏。シェンムリアップ空港に着いたときに知り合った、車が高いのでバイクを使ったフランス人は、ずっと北の遺跡群の奥まで行き、さらにアンコール=ワットでは入場料を払いたくないから地雷を恐れずジャングルの中に入り込んで入場ゲートを越えたそうだ。彼はそのことを自慢していた。まさに知らぬが仏。では、彼は無謀で私は無謀でないのか。危険地域の情勢は刻一刻変わる。情報を集めて判断をする?そんなに都合良くは行かない。より確からしい情報を集めて、より安全な判断に近づくだけ。そこに、少しばかりの直感と、幸運。
大分長く小林君と旅行での体験を話した。そろそろ十二時。閉店の時間が迫ってきた。艶めかしい視線と声を駆使して私たちにビールをプレゼントしてくれた金髪の女性(しかし、年齢は高い)も帰っていった。
騒がしかったメインバザールもひと気は失せてくる。その中で、丁度上映が終了したところなのだろう、映画館からどっと人が出てきた。インドの映画の人気は、聞いてはいたがかなりのものらしい。町にはでかい絵の看板を何度か見かけたし、上映前の映画館には大勢の人が並んでいた。飛行機の中で見たインド映画は、単純なストーリーに大げさな演技、そしてテレビの歌番組のようなセットで見続けたいと思えなかったが、感じ方は生活、文化の違い。インドの庶民にとっては身近な娯楽の一つなのだろう。
サンダル履きに汚れた服を着た人たちが、明かりの消えかけたメインバザールをもう一度賑やかにした。