修道女の多くは中庭で洗濯を始めた。そして数人は礼拝場に戻って、読書を始めた。私も折角だから礼拝場で静かに座禅でも組んでみることにした。
過去のことを考えてみようと思った。折角だから。自分の罪深い人生を省みるなんてことはしたこともないし、これからもまずしないだろう。それなら気分の乗っている今、ちょっとやってみようか、と思ったわけである。
私なりに深く罪を反省した。それなりに時間もたった。もうこんなとこだろう。そろそろ帰ろうか。立ちあがりつつ身体を反転させた。すると、なんとそこにはマザー・テレサが座って読書をしているではないか。“むむむっ、これはいったい。”またもや信じがたい。とにかく、反転しかけた身体をまた元に戻した。
マザー・テレサが、すぐ左斜め後ろで本を読んでいる。
これは神(いるとしたら)の与えた巡り合わせの機会ではないのか。今こそ、話しかけるべきである。“そうだ話しかけるんだ。”そう心に決めた。
では、何を話そうか。やはり、テーマは祈りについてだろう。しかしながら、それなりに考えることはあったにせよ、いざ本人を前にするとうまい言葉が見つからない。
‘手の施しようの無い人を前にして貴方は祈るそうですが、誰のために祈るのですか’
死にゆく人のため。自分のためとは言わないだろう。
‘本当に祈ることが死にゆく人のためになると思いますか’
失礼だ。
‘その祈りによって神が何をしてくれるのですか’
宗教を信じるかどうかの話だ。
‘何故祈るのですか’
やはりシンプルなこの辺に落ちつくだろう。
質問は決まった。
“よし聞くぞ”と心に決めてぐぐぐぐっと身体を反転させた。すると、丁度振り返ったその時、マザー・テレサは静かに目を閉じ、頭を垂れた。“あれっ、瞑想に耽り始めたのかな”いや、どうもそういうふうには見えない。どちらかというと読書をしているうちに、うつらうつらとしてしまったかのような…。しかし、それにしてはどうも不自然な感じが…。まさか、でも、いや、そんなことはない。何か腑に落ちない感じはするが、そのままでいるのもなんだから、反転した身体をまたもや元に戻した。
ここはどうしようか。起きるのを待とうか、それとも帰ろうか。そうこう思っているうちに、またマザー・テレサは本のページをめくり始めたのだった。“うーむ、どうも引っ掛かる。”でも、こんな機会はめったにいや二度とないのだから、もう一度やってみよう。
“一、二の三”
ぐぐっと今度はすこし早めに回した。するとまたもやマザー・テレサは、素早く目を閉じ、頭を垂れた。これはもう間違いない。寝たふりだ。あのマザー・テレサが、ノーベル平和賞のマザー・テレサが寝たふりをしているのだ。聖人、崇高なる精神の持ち主マザー・テレサ。しかし、やはり彼女も人間だ。いちいち旅行者の話に耳を傾けていてもきりがないから、寝たふりをすることにしているのだ。まあ、それはそうだろう。
そのまま立ち上がった私は、すぐに廊下にでた。そして、自分の貴重な体験が本物であることを確かめたいがために、ゆっくりと廊下を進んだ。マザー・テレサは目を開け、まだ歩き去っていない人影を横目でちらりと見やった。