そのマザー・テレサはカルカッタにいる。しかも、朝の礼拝の時間に行けば、その姿を見られるらしい。早起きしてタクシーに乗り込んだ。五分程で、大きい教会の前に着いた。運転手は指さして、
「マザー・テレサ」
と言った。だが、入ってみればその教会には誰もいなかった。一体マザー・テレサはどこに。またもや行きたい所に行けないのか。嫌な予感を感じつつ、手掛かりを探して教会をぐるりと回っていると、庭掃除のおじさんが近づいてきた。彼は何も聞かずに道路の反対側を指さし、
「マザー・テレサ」
と言った。
彼を信じ、とにかく反対側に渡った。だが、そこでもなかなか教会は見つからなかった。礼拝の時間が終わってしまうのではないかと心配になりながら小走りで探していると、少年が近寄ってきて、
「マザー・テレサ?」
と聞いてきた。頷くと、彼は私の手を引っ張って歩きだした。赤いシャツに赤いパンツをはいた彼は、日本でいえば小学校高学年位だろうか。きっと毎日こうやって案内をして、その代わりに小遣いをもらっているのだろう、と思った。でも、これは立派な仕事だ。小遣いは、はずんであげようと思った。
マザー・テレサのいるところは、その門構えはまったく他の家々と変わらなかった。壁をよく見ればMISSIONARIES OF CHARITYと書いてある。そして小さなマリア像が壁にあった。大きい教会を探していたので、まったく目に入らなかった。少年は細い道に入り、脇の入口を、ここだ、と指さした。そして、お礼を言いお金を渡す間もなく、走り去っていった。
中に入っても誰もいない。そして、薄暗かった。きっとこっちだろう、と狭い階段を二階に上がっていくと、人の気配がしてきた。ここだ。二階の廊下には旅行者が十名位いた。部屋の中を覗いている。そこでは黒い服を着た男の人が説教をしていた。修道女はざっと五十人程だろうか。礼拝を行う部屋はその人数で一杯になるくらいの小さなものだった。その中の一体誰がマザー・テレサなのか。年齢の高い人に注目してみたが、どうも見覚えのある顔はなかった。
そのうち修道女は全員座った。皮が厚くなった足の裏が見えた。旅行者達も廊下でちらほらと座り始め、私もそうした。そのうち片足の悪いおじさんがやって来て“中に入りなさい”と勧めた。彼はその場に会わない少し派手目の服を着ていて、物腰もその辺で商売をしているおやじという感じだった。彼は、私には誰と誰が日本人のシスターなのかを教えてくれた。ここの修道女たちは世界中から集まっている。その時日本人は二人いた。年齢は私と同じ位だ。彼女たちは日本からの名も無い代表だった。
説教が終わると、聖水をかけパンを口にふくませる儀式へと移った。修道女たちは並んで次から次へと進んでいく。それは年齢順のようだった。始めのほうに高齢の人達が並ぶ。そこに注目した。しかし、マザー・テレサは見当たらなかった。彼女はもはや退席してしまったのか。列はどんどん進み、ついに旅行者の中から儀式に参加した最後の白人も終わった。
修道女たちはパンを口に受けてから、立ち去った。いまや、誰も残っていない。
マザー・テレサはいったい何処にいるのか。がらんとした礼拝場を前にして、私は諦めるしかなかった。残念だ。
しかし、帰ろうとすると片足の悪いおじさんが私の肩を突っ付き、言った。
「彼女がマザー・テレサだ」