外に出て、辺りをうろうろしていると、さっき道案内をしてくれた少年がいた。
「彼女に会えた?」
「ああ、君のおかげだ。ありがとう」
そして、写真などを撮りながら少年と話をしていたが、そのうち彼は言いづらそうにしながら切り出した。
「お母さんが病気なんだ。元気をつけるためにミルクが欲しい」
本当であれ、嘘であれ彼が道案内という仕事をしたことに変わりはない。金を出してもいいと思った。
「君は案内をして働いたのだから、当然買ってあげてもいいよ」
すると少年は言った。
「僕は働いてはいない。働いたから買ってもらうんじゃないんだ」
どういうことだろう。意味がどうもつかめない。そういう様子を見て、少年はまた言った。
「神様が、働いてお金をもらってはいけないって言うんだ」
この辺一帯は、ミッショナリーズ・オブ・チャリティの教えが広められているに違いない。そしてミッショナリーズ・オブ・チャリティも、寄付によって活動している。
少年は雑貨屋まで私の手を引いていった。そこで彼の友達も二人寄ってきた。少年が事情を説明すると、二人ともそうだそうだと頷いて、
「彼のお母さんのために買ってよ」
と言った。八十ルピーの粉ミルクを買ってあげると、少年はそれを掴んで、家に向かって走った。
その後、二人の友達も「僕たちも何か欲しい」と言ったが、彼らのお母さんが病気のわけではない。それに彼らは何も働いていなかった。ミッショナリーズ・オブ・チャリティの教えがあるのは分かっているけれども、やはり働くことを知って欲しかった。それに、寄付が寄せられているのは、シスター達がボランティア活動をしているからだ。何もしないでものをもらうという考え方を修道院で広めているわけではないはずだ。でも、そのあたりを説明するのは難しい。私が二人に言えたのは、
ということだった。