デリーに戻る航空券を取りに行ったときは、約束の十時をとうに過ぎ、二時をまわっていた。
「遅かったじゃない」
子供を抱えたおばさんは私を持ちわびていた。おとといとは違い、ばっちり目は覚ましていたが、やっぱり眠そうな目をしている。
「彼(主人)は今出てるからまた後で来てよ。必ず来てよ」
ここはちゃんと切符をとっていた。ラッキーだった。約束通り切符がとれているなんて。
「必ず来るよ」
デリーの暑さはかなり強烈だ。四月の平均最高気温は三十五.九度、平均最低気温は十九.八度、五月になると四十.四度と二十六.〇度になる(当時)。午前中から歩いたのでへとへとになった。東南アジアでは暑さを無視して歩きつづけた結果、病気になった。だから、疲れたら休むと決めていた。一度宿で休もうと、シルバーパレスに向かった。その途中、目敏く私を見つけた男がいた。
「なあ銀行に入って行った奴だろ!」
現金持ってるって宣伝するなって。無視。無視。
シルバーパレスに戻るとフロントには昨日宿代を百ルピーにしてくれた青年がいた。
「ハ~イ」
彼も暑さで参っている。かったるそうにカウンターに頬杖をつき、片手をあげた。
「暑いねー」
「この時間は、いつもこうやってぐったりしているんだ」
日本人に顔が似ている彼は、やっぱりネパーリーだった。インドに出てきて二年程だそうだ。それから彼とネパールのこと、前の宿泊客で日本から手紙を送ってきた人のこと、今までの私の旅のこと、などをカウンターに寄っ掛かりながら話し合った。
「ところでこれからどこに行くの」
「明日からカルカッタに。本当は列車でヴァラナスィーに行きたかったんだけれど、一杯でとれなかったんだ」
「なんだ、それなら言ってくれれば良かったのに。うちでも切符をとってるんだから」
彼は残念そうに言った。そうだったのか。たいていのゲストハウスでは旅のアレンジをしてくれることを忘れていた。彼なら信頼できそうだ。ここで頼めば良かった。そうすれば、こんなに疲れることはなかった。
部屋に戻り、汗でべとべとのズボンとシャツを脱ぎ捨てて、ベッドに体を放り出した。天井から落ちてきそうな位にガタガタと音をたてる扇風機を、一杯に回した。それでも部屋は暑苦しかったが、そのうちにうつらうつらと眠りについた。
起きたときは四時前になっていた。暑さはピークを過ぎ、疲れもほぼとれていた。のそのそと起きだして、どこに行こうか考えた。ラージ・ガートというマハートマ・ガンジーが荼毘に付されたところが面白そうだ。向かいにガンジー記念博物館もある。‘そこにしよう’べとべとのズボンをもう一回はいて、まずはカルカッタ-デリーの航空券を受け取りに行った。
「ハイ、俺だよ。覚えてるだろ」
まだ宣伝男はいる。一体なにをやってるんだこいつは。
旅行代理店には、また、眠そうな目のおばさんしかいなかった。
「今呼んでくるから、ちょっと待ってて」
ちょっとにしては長かった。十分程してから、誰もいない旅行代理店に金髪の女の子が入ってきた。
「すぐに戻ってくるよ」
そう言うと、彼女は軽く頷いた。
「どこに行くの?」
「カシミールに。とても美しい所よ」
彼女は憧れの眼差しで、花が咲き乱れているカシミールのポスターを眺めた。
「It’s my home.(私の〔心の〕ふるさとなの)」
ふるさとか。期待通りの旅になるといいけれど。
「ハイ、ジャパン。さっきは遅かったじゃないか。来ないかと思ったぞ」
主人が帰ってきた。
「悪かった。いろいろあって忙しくなったんだ」
(本当にいろいろあった)
主人が持ってきたのは確かに希望どおりの航空券だった。
「ところで、デリーに戻ってきたら、カシミールに行かないか。いい所だぞ」
何度断っても、何度も同じことを言う。
「今度インドに来たときにね」