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クメール=ルージュ

 広大なアンコールの遺跡群を見て回るには、車かバイクしかない。宿に着いてから、車を雇った。六車さんと私、それにシェンムリアップの空港で知り合ったフランス人の三人で交渉した。しかし、二日で一人二十ドルと聞いて、フランス人はおりてしまった。バイクを借りるつもりらしい。一人減ると一人頭の料金も上がるが、車で行こうと六車さんに主張した。ポル=ポト派が近接している地域で勝手に動き回るのは危険すぎる。こんなところでけちってもしょうがない。ポル=ポト派に遭遇したら、幾ら払っても銃弾を打ち込んでくるかもしれないのだ。

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 アンコール=ワットを中心に回ったその日は、とても平和だった。途中で再会した白人の夫婦とも、やっぱり着てよかったね、なんて言葉をかわした。すっかり緊張感が和らいで、その日最後の遺跡に向かった。それは少し奥に行った所にあった。日はそろそろ暮れようとしている。その遺跡の入口にはライフルを背負った兵士が立っていた。兵士がいるのはその日初めてだった。彼は私たちを先導した。もしかして危険な区域に近づいているのだろうか。それでも、すっかり静かなシェンムリアップに慣れてしまっていて、ゆっくりと遺跡を見た。そのうち大分日は暮れてきた。兵士の足は次第に速くなり、そして彼は私たちにこう言った。

「この前、ここで頭を撃ち抜かれた奴がいる」

‘ピシュー’と頭に人指し指を突き立てた。

「何だか危ないみたいですよ」

切迫した状況であることにようやく私たちは気づいた。‘もう行くぞ’と兵士はどんどん帰りだした。そしてついに彼は走りだし、しまいに私たちも全速力で駆けた。心配そうに待っていた運転手は、にこっと笑って私たちを乗せると、思いっきり車を加速した。やっぱり危ないのだ。

 翌日はアンコール=トム(ワットは寺でトムは都市である。トムはワットより北の方に位置する)を中心に回った。アンコールの広大な遺跡群には右周りと左周りの道があって、一周すれば車で一時間ではきかない。その北部がポル=ポト派の支配地域になっているのだが、結構奥に入った時、試しに六車さんが日本で立ち入り禁止になった地域を地図で指さし、「行けるかな」と運転手に聞いた。とても愛想がよくいつも笑顔の青年だったが、さっと恐怖の色を浮かべ、

「クメール=ルージュ(赤いクメール人、つまり共産主義のカンボジア人。ポル=ポト派を指す)がいるから行きたくない」

と首を振った。そこはすでに境界ぎりぎりの地域だった。でも、人々の生活は続いている。道を行き来するカンボジアの人々を何人か見かけた。子供たちは元気にジュースを売りにやって来る。だが、そこが危険なことは間違いないし、クメール=ルージュが近くまで来ていることをそこで暮らす人々も知っているだろう。ただ、彼らには他に行き場所がないのだ。

 赤いスカーフを巻き付け、ライフルを背負った男がバイクで通りすぎた。クメール=ルージュ。私は黙っていた。運転手も黙っていた。早く南に戻りたかった。