汚染された砂と分かると、舞う土埃が気になってきた。しかし、私は一時的な通過者に過ぎない。スラムの人々はこの埃の中で暮らしているのだ。痩せた牛が池の水を飲んでいる。人はその牛の乳を飲み、肉を食べるのだろう。子供が泥土にまみれて遊んでいた。身体に害を及ぼすかもしれないことを住人は知っているだろうか。いや、たとえ知っていたとしても、彼らの住む場所は他にはないのだ。
すぐ先に、今度はかなりまとまった数のスラムが見えてきた。住人が道端にたむろしている。怖くなってきた。私は比較の対象である。彼らをより貧しくする者である。周りにはスラムの住人以外誰もいない。彼らに囲まれたらどうなるか。しかも、もし人リクシャーのにいちゃんが彼らの仲間だったら?その時は、私に一切抵抗はできないだろう。何も起きないことを祈った。スラムにだんだん近づいてきた。向こうでも私の姿を捉えた。一人二人とこちらに注目しはじめた。若い奴と目があった。そいつはじっと私を見つづけた。手のひらが汗で濡れた。刺激しないために、そしてつけこまれないように、外見上は努めて平然と座っていた。スラムの連中は立ち止まり、黙って私が通り過ぎるのを見守った。結局何も起きなかったが、このスラム一帯を抜ける三分間はとても長かった。
もはや早く大通りに戻って欲しかった。そちらの方に続く道が見えてくるのを私は待った。ラール・キラーも見えてきた。大分左手の方だ。必ずしも近道を行っているのではなかった。やはり、はっきりとした意図を持ってにいちゃんはこの道を選んでいた。砂地の道が交差するところに来た。ここで左に曲がっても元の方に戻ってしまいそうだった。ここはまだ真っ直ぐだろう。だが、にいちゃんはリクシャーの向きを右手に変えた。
「ちょっと待て。ラール・キラーだぞ」
にいちゃんはヤムナー河がどうのこうのと言って、私の返事を待たずに右に向かおうとした。
「待て、そっちには行くな」
こっちに何かいい所があるんだ。そんなことをにいちゃんは伝えようとしたが、私は断固として真っ直ぐ先を指さした。どこに連れて行きたいのか。何を見せたいのか。公害の実態か?貧しい現状か?彼の知っている土産物屋か?それとも長距離走って値段をあげたいのか?私はこれ以上スラムに行きたくないし、土産物屋もこりごりだし、値段をあげられたくもなかった。にいちゃんは諦めて真っ直ぐ走った。そして左に大通りが見えたところでその道を曲がってもらった。
ラール・キラーには無事着いた。なんだかんだいっても、通常は見られないものを見せてもらったのだから、お礼もこめて決めた値段の二十五ルピーに上乗せし三十ルピー払った。にいちゃんは嬉しそうにはしなかった。もっと儲けたかったようだ。一人につき三十ルピー程度では、小綺麗な服を買うまでにはいかない。あそこで右に曲がることに彼の味噌があったのだろう。
金を払って歩きだそうとすると、すぐに違う人リクシャーの運ちゃんが寄ってきた。降りたすぐに乗るわけはない。さっきのにいちゃんも、彼は乗らないよ、と制した。と、寄ってきた運ちゃんは、あれっという顔をしてまじまじと私の姿を見た。そして小綺麗なにいちゃんに聞いた。インド語だったが‘ネパーリー’という言葉ではっきりと何を言っているのか分かった。
「こいつ、ネパール人か?」
もしかすると、ネパール人と見間違えるほど小汚くなっているこの姿が、スラムを素通りできた理由かもしれない。