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ココナッツ

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 ラール・キラーは赤い城という意味だ。アグラ城と同じで赤砂岩でできている。しかし、油断をすればすぐに割り込まれてしまう混雑した売り場から切符を奪い取るように買って入ってはみたものの、特に何があるわけでもない。時間は二時を回っていた。暑さと空腹でへたばっていた。移動中だから重いバッグを背負っているし、おまけに中は広々としていて結構歩く。ついに途中で嫌になり戻ってしまった。とりあえず飲み物が欲しい。とにかくへたばっていた。

 その時、城を出ると丁度いいことにココナッツ屋を見つけた。‘ココナッツ’これはタイからフルーツジュースカントリー、マレーシアにかけて最高の楽しみであった。その辺りはココナッツ地帯なのだ。ココナッツの喉越しはフルーツジュースよりいい。癖はないし、飲んだ後すぐに喉が渇いてしまう程甘くもない。かえって味がなくて不味いと言う人もいるが、スポーツドリンクよりもさらに爽快な飲み物という感じで私は大好きだ。飲み方はいたって簡単。なた、あるいは鎌で一方を削っていく。そのうちに中の空洞に達するから、ストローを突っ込んで飲めばいい。飲み終われば、果肉をスプーンで食べられる。これも、さっぱりとしていて結構いける。とにもかくにも私はココナッツが大好きで、飲み物が欲しいときに城の外でそれを見つけたときは、最高に嬉しかった。

 だが、インドのココナッツは少し趣が違った。まず、小さい。東南アジアのココナッツは少なくともメロンよりは大きかった。一方、ここのはリンゴ位しかない。二口、三口ごくりとやって終わりだ。しかも果肉は脂っぽくて甘い。さらには、ぱさぱさしている。食べられたものではなかった。捨てるのももったいないので、返そうとした。果肉だけでも並べて売っていたからだ。だが、店の人は受け取れないから食べてくれ、と押し返した。‘せっかくだから食べてくれよ’といった眼差しを向けられると、置いていくわけにもいかなかった。

 ラール・キラーの目の前から始まる、チャンドニー・チョウクという繁華街に入った時だった。大通りが交差する角に、柵で仕切られた緑地があった。緑地といっても草の生えたただの小さな場所で、そこには掘っ建て小屋が一つ建っていた。そこで、小さな子供が喧嘩をしていた。女の子と男の子、姉と弟だと思う。服はボロボロで汚く、顔も垢で黒ずんでいた。二人の喧嘩の原因は食べ物だ。姉が食べ物を奪ってしまい、弟は泣きわめいている。その手にしている食べ物は菓子かパンのかけらのようなもので、薄汚れていた。弟は泣きながら奥に引っ込み、姉はそのかけらを口に入れた。私のココナッツは、それに比べれば立派な食べ物だった。柵の向こうでは薄汚いかけらを取り合い、一方、私はココナッツを捨てようとしていた。子供たちは物乞いではない。しかし、今の彼らにはわずかな食べ物でも貴重だった。ここはあげる時ではないのか。きっとふたりで分け合うに違いない。私は柵に近寄った。そして、ココナッツを差し出した。女の子は私の目を見ながらゆっくり近づいて、そっとココナッツを取った。その子の目は諦めていなかった(「諦めた目」)。澄んだものを残していた(「少年の大きく澄んだ目」)。その目で彼女は私を見つめながら、ココナッツの端に小さな口でかじりついた。