目的地へ行こう

まだたどり着いていない人のブログ。

本当に危険か、カンボジアでのこと

 快適な旅をするには、相手が細菌であれ、人であれ、結局、危険を避けるのが基本だ。また逆に、そこが一番面白いところだ。同じ感覚を持つ人は沢山いる。でも、あまりに危険なことをしすぎる人もいる。

 タイのカオサン・ロードで会ったのだが、イラクに入った人がいた。湾岸戦争の後に、である。もちろん正規のルートでは入れない。クルド人ゲリラにまじって、こっそり入ってしまったのだ。クルド人とは、トルコ、イラク、イラン、シリア、カフカスに分散して住み、国を持たない民族としては、もっとも人口の多い人達であり、その歴史の中で、イラクでもトルコでも沢山の人達が殺されてきた。湾岸戦争の後も、フセイン大統領により夥しい数の人々が殺されている。化学兵器が使われた疑いもある。そのクルド人にまじってイラクに入ったのだ。にわかには信じがたい。どうしてこんなことが可能かと尋ねると、クルド人ゲリラにとっては、そういう物好きな旅行者からガイド料を得ることによって、ゲリラ活動の資金にできるからだそうだ。こういったことはあちこちである話らしい。しかし、もちろん危険はともなう。入国したはいいが、いつなん時そこが戦場と化すかは分からないのだから。

 これは、最高にスリルのあることだろう。この手のスリルに病みつきになった人にはこたえられないだろう。しかし、危険を避けていると言えるだろうか。日本に住んでいることに比べれば、明らかにそれは危険だ。だが、捕虜になる、大怪我をする、あるいは死ぬ、ということにならないといった観点から見れば、危険かどうかの判断は難しい。それに本当に危険かどうかは、その時、その場にいないと実際のところ分からない。報道が間違っていることなんて数えきれないくらいあるのだから。そもそも、バックパッカーなんてのは、自分の足と目を使って、本当のことを見てくるのが好きな連中だ。その近くまで行って、実際のところはどういう状況なのかをとりあえずは見てみようとする。その時、命が今にも取られそうだという予感がするなら止めるし、大丈夫だと判断すれば行ってしまう。でも、この大丈夫だという判断を何からするかとなると、実際は、心もとない。人に聞いたところでせいぜい十人程度だし、その情報だってあてになるかは分からない。それに情勢は刻一刻と変化する。だから、確実な判断などない。要は、危険な地域に行く人の、スリルに対する又は目的地への憧れ、執着のビョーキ度と危険への直感のバランスである。

 私にも、行くか行くまいか、危険と照らし合わせて考えなければならない状況に出くわした時があった。

 

 カンボジアでのこと

 アンコール・ワットがあるシェンムリアップに、どうしても行きたいと思っていた。しかし、その時は、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)が来ていたものの、シェンムリアップはポル=ポト派の支配領域に近接していた。一ヵ月前の日本を旅立つ際の情報では、小康状態が続き旅行可能にはなっていた。しかし、プノンペンに入って、タイから輸入されているバンコクポストを見てみると、なんと、

『シェンムリアップでポル=ポト派によりUNTAC施設が襲撃され、住民ら二名が死亡した』

とあるではないか。信じたくなかった。何度も読みなおした。でも、やはりその通りに書いてある。知らない間に事態は深刻化していた。それからは慌てて情報収集に走った。

 ゲストハウスの主人は、

「これは何かの間違いだ。ありえない」

と否定した。

「たとえあったとしても、ポル=ポト派が殺すのはベトナム人だけだ。あなたがもし彼らに出会ったらパスポートを見せないさい。そうすれば彼らは危害を加えない」

彼の目は真剣だった。だが、彼の意見は信用できるとは思えなかった。ポル=ポト派は、勢力を維持していた頃、外国人だって容赦なく殺していた(ツールスレーン捕虜収容所では殺される前に正面と横からの写真が撮られた。壁に並んだその写真にはカンボジア人に混じって、白人ジャーナリストの顔もあった)。そんなことはゲストハウスの主人だって知らないはずはない。ポル=ポト派がまた人を殺し始める、という最悪の事態は起きて欲しくないから、この事件を信じたくなかったのか。それとも、こういう噂が広まって観光客が減ってしまうことを恐れたのか。あるいは、彼自身ポル=ポト派なのか。何が理由かは、はっきり分からない。しかし、彼の意見があてにならないことに違いはなかった。

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 次に、その宿にいた明日シェンムリアップに行くという白人夫婦に、その記事を見せた。彼らもいたく驚き、とにかくお互いに情報を集めて交換しようということになった。

 バックパッカーを見つけては声をかけ、丁度シェンムリアップから戻ってきたばかりだとういう日本人を見つけ出した。彼によると、何も問題はなかった、らしい。彼は、危険を感じたどころか、いかに面白かったかを興奮してまくしたてた。客観的なタイプにはどうも見えなかったのでちょっとひっかかりはしたけれども、戻ってきたばかりの人だからそれなりにあてになる情報ではあった。

 それから日本大使館に電話をしてみることにした。しかし、電話番号は分かっていても、電話がなかなか見つからない。三十分位さまよって、カンボジアでは最も大きい部類のホテルでやっと見つけたが、今度は電話がつながらなかった。いろんな人に大使館の場所を聞いても、誰一人として分からない。夜も更けてきたので大使館には翌日の朝に向かうことにした。