財布が底をつきそうになっていても、AJAYは空港まで送ってくれると言った。高くつく直通バスではなく、普通のローカルバスに乗り込んだ。これがまた体力のいるバスなのであった。もちろんエアコンなどなく、目一杯に人が乗り込んでくる。四十度のデリーですし詰めである。とてつもなく汗が吹き出す。ただでさえ暑苦しいのに、なんかがちゃがちゃしたインドの歌が、音響の悪いスピーカーでがんがんにかかる。さらに疲れが増してくる。ローカルバスだから、あっちこっちに停車するし、くねくねと遠回りをする。ぎゅうぎゅう詰めのバスで一時間以上かかってやっと空港に着いた。ぎゅうぎゅう詰めの人々とがんがんの歌とめちゃくちゃの暑さ。過剰だ。過剰なのだ。暑苦しいのである。
早いとこ空港で休みたかった。だが、私に続いて入ろうとしたAJAYが警備兵に引っ掴まれた。そして大声で怒鳴られた。AJAYの顔色が変わったから、かなりの罵倒だったのだろう。ひどい。彼は良い奴だ。そんじょそこらのインド人とは比べものにならないくらい良い奴だ。それなのに、彼より数倍汚らしい私はすんなり入って、AJAYは罵倒された。
「彼は私の友達なんだ」
やっと警備兵は声を張り上げるのを控えた。しかし、AJAYは入れてもらえなかった。私はパスポートを見せたわけではない。だが、AJAYとの差は歴然としている。警備兵は同じインド人なのだが、インド人には厳しいのである。まず、盗みが目的の人を入り込ませないためだろう。そして、旅行者相手に小銭を稼ぐ人をなくすためだろう。だから、到着したとき、ポーター料をとるために無理矢理荷物を持つ人もいないし、インドはそれなりに進んでいる国でもあるようだ、と思った。でも、そのためにAJAYは怒鳴られた。旅行者のためにやってくれているのだが、それにしてもひどい扱いだった。
結局、AJAYとは空港の端の食堂で落ち合うことにした。そこなら、外からも自由に入れた(その食堂と空港内に通じる出入口には、警備兵は立っていなかった。どこかが抜けている国である)。空港内では他の日本人からしかめっ面をされたりする汚い私だったが、その私は空港の中を歩きAJAYは外を歩いた。
バスで汗を出し切った二人だったから、喉はからからである。お互いジュースを三杯も立て続けに飲んだ。飲みながら、彼は、MR. AJAY SHARMAそして住所、と手紙の宛名、宛先に書くままの形で、私のボロボロの旅行安全情報の冊子の裏に書いた。そして何度も、
「帰ったら手紙を書いてくれよ」
と言った。私はその度に、
「必ず書くから」
と答えた。
日も暮れてきた。ローカルバスがなくなってしまうかもしれない。AJAYとの別れである。
「すぐに手紙を書いてね。サヨウナラ」
「ナマステ」