目的地へ行こう

まだたどり着いていない人のブログ。

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何が何だか

トラベラーズチェックを換金してくれ

 カーリー寺院の後は、トラベラーズチェックを現金化するために銀行に行った(キャッシュをあまり持ちたくないので、両替はこまめにやる。東南アジアでは安宿街によく両替所があって便利だった)。人に聞いたところで、なかなか銀行を見つけられなかったのは言うまでもない。さらには、銀行を見つけても、トラベラーズチェックなど使えなかったりした。たとえトラベラーズチェックを使えたとしてもアメリカン・エキスプレスでないと駄目なところも二行あった。そんなこんなで、やっと、持っていたVISAのトラベラーズチェックを使える場所を見つけたのだが、十時に開店しても、それから業務の準備をやりだして、長々と待たされることとなった。そこの銀行の業務はルーズだが、警戒は厳重だった。行内にはライフルをもった警備兵がそこかしこに立っているし、特に外貨を扱う所は金網で区切られている。その金網の中で、ライフルを持った男と小一時間程待った。やっと業務が始まり、これまた鉄柵で仕切られた窓口に呼ばれたのだが、よくよく話をしてみれば(よくよく話をした後であったはずなのだが)、そこはキャッシュを両替するだけであった。またまた銀行を変えて、やっとトラベラーズチェックを現金に換えた。そこの警備は一転してゼロに近く、人がごったがえす中で、渡したパスポートはその辺の机に平気で置いたりなんかする。まったくよく分からない国だ。何度も何度もよく分からないことが続くが、やっぱり何度でもよく分からないのである。

 

錯覚の公園

 昼寝をしてからインド民族舞踊を見るためにでかけた。またマイダン駅で降り、向かって右の公園側に出た。その公園の先にはヴィクトリア記念堂が見えた。これは、白くてミニ・タージマハールのようである(インドの白い建物はなんでもタージマハールを連想してしまう)。公園の芝と合わせてみると、なかなかの綺麗さである。これは思わぬところでいいものを見られた、と得した気分にもなり、その記念堂に向かって公園の中を歩きたくなった。

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 が、歩いてみれば、真っ直ぐには進めなかった。綺麗だなんてのは目の錯覚でしかなかった。何故なら、芝生の上は糞だらけなのだ。そこに、あそこに、またここに。そこら中に。何だこれは。どれだけの犬がここでしているのだろう。いや、犬だけか。牛も、いやいやそれだけだろうか。道路沿いにあれだけ人が寝ているのだ。ここにだって寝ているだろう。ということは。錯覚の公園を裸足で歩く人々、寝ころがる人々。インドは死に近い国、である。そして、インドは糞にも近い。

汚いのは自分だった

 インド民俗舞踊のホールは、対照的にとても綺麗な所だった。会場を埋める人々も小綺麗な恰好をしている。明らかに一番汚いのは私だった。袖が伸び、肩の上が切れ、白であったはずが何故か灰色になったTシャツ。紺から茶色がかってきたGパン。そしてサンダル。それにますます長くなった不精髭。ホールは金持ちの集まる所だった。そんな所に、旅行者である特権を使って、ただでもらったチケットを片手に入った私。

「横にずれてもらえませんか」

綺麗な恰好の女の人が、恐る恐る言った。知り合い同士で横に座れるようにである。インド人は、私にとって時に予想がつかない、状況によっては恐怖さえ感じる存在である。しかし今、私は彼女にとってそうだった。

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 この日の舞台は、何かとても重要なもののようだった。最初にずらりとお偉方が舞台に上がり、挨拶をした。そして、授賞式が始まった。権威ある賞のようだ。受賞者は皆それなりに貫祿がある。一流って感じだ。貧富の差の大きいインドで、ここは富める人々が集まる場所だ。始まった舞踊も洗練されていて、上品な感じがする。とても質の高いものみたいだ。客は静かに見入った。スローな舞踊の時は、私は静かに寝入った。半分寝ぼけているものだから、写真を撮るときにストロボをオフにし損なって、真剣に見ている人を怒らせたりした。その人は係員を呼んで、何かをしきりに訴えていた。錯覚の公園では私は比較的綺麗で上品なはずだった。しかし、それは錯覚だった。貧しさは他者との比較によって生まれる

何が何だか分からなくなってくる。