スマホがあったらどんなに助かっただろうと思う。インターネットで調べたり、バックパッカー同士で情報を交換したりできる。インターネットがなかったら日常生活でも相当不便なのに、危険な地域に行く、日本人の感覚が通じない、とか発展途上国での貧乏旅行では、情報が不十分だと身の危険にも及ぶ。
旅は大体の見通しだけで日本を出発していた。宿や行先は現地を歩きながら決めていく。安宿に泊まり、移動は徒歩、バス、列車が基本だ。急ぐ時だけタクシーや飛行機を使う。宿も食事も値切りの交渉をする。病気で寝込んでいたときに、バナナ一本を買うにもふっかけられて値切り交渉をしたのはきつかった。歩くことが多いので、持ち物は最低限。そして、お金をかけない旅をするということは、治安が悪い地域にも滞在するので安全対策も必要だった。
旅の持ち物
旅の様子が分かるので持ち物を挙げてみる。パンツ三枚、Tシャツ二枚、シャツ、トレーナー、Gパン、短パン、ベルト、靴下、スポーツシューズ、サンダル、タオル二枚、帽子、空気枕、腕時計、携帯用目覚まし時計、カメラ、フィルム36枚撮り五本、ボールペン、懐中電灯、トイレットペーパー、ポケットティッシュ四個、ウェットティッシュ二個、歯ブラシ、歯磨き粉、石鹸、爪切り、耳かき、ビニール袋三枚、紐、風邪薬、胃薬、下痢止め、マラリアの薬、チフスの薬、消炎の塗り薬、消毒用塗り薬、絆創膏十枚、蚊取り線香とそれを立てる金具、100円ライター、梅丹(梅肉エキス)、水筒、トラベラーズチェック、クレジットカード、日本円とドル、パスポート、顔写真二枚、小物入れ、首に下げる貴重品入れ、腹に巻く貴重品入れ、錠前二つ、ワイヤー、バックパック、旅行安全情報の本と冊子、地球の歩き方、旅のノート。元々着古していた衣服や消耗品は帰国時には捨てているので、空港の荷物検査で「これだけ?」と言われたこともある。
バックパッカーとしてインドを訪れたのは一九九四年だった。私は行きっぱなしで帰って来ないとか、半年働いて半年バックパッカーをしているような特別な人ではない。学生として、社会人として限られた時間とお金でバックパッカーをしていた。それでも相当強烈な経験をした。今無事でいるから、不便でよかった、濃い経験ができて良かった、と思える。
以下はその帰国後、東南アジアの旅などと併せて書いた手記である。まだどこにもたどり着いていなかった。どこに向かっているのかも分かっていなかった。