「カモン、ジャパン」
私はすっかり‘ジャパン’である。パスポートをコピーするために、最初に声をかけてきた私と同じ二十七歳の彼と、向かいのコピー屋に行った(彼がコピーをとってくると言ったがパスポートは決して人に手渡さない)。彼は一枚コピーをとると、その紙をトレーに入れ直した。紙の裏表を使ってコピー代を半分にしようということらしい。インドではコピー代は高いのだろうか。結局は、とり終わってから裏表でも二枚の値段だと言われ、しぶしぶ彼は払った。コピー屋もこれから毎日利益が減ることになるのだからたまらないだろう。裏表を使ってコピー代を浮かせるのに彼は失敗したが、もし、もう少し頭をひねって「コピー代も客持ちだよ」と言えば、私はそういうルールなのかと思って払ってしまっただろう。このいまいちずる賢くないところが、また私を安心させた。
戻ると、小林君はカシミールを散々勧められて辟易していた。彼もそれなりに断っているのだが、「ではどこに行く予定なんだ」と聞かれると、「まだ決めていない」と答えるものだから、なかなか主人も諦めないのだ。
「断固として断ったほうがいいよ」
とアドバイスした。
「何度も断っているんだけどな」
彼はこの先すすめられるままに押し切られることがあるかもしれない(実際彼はこの後とんでもない目に合うことになった)。
さて、ここで四百ルピーを前払いする訳だか、あとでもらってないととぼけられても困る。
「領収書をくれ」
と言うと、主人は「OK」とメモ用紙に何か走り書きした。何だかまったく読めないが、領収書のつもりらしい。
「ちゃんとした様式の領収書用紙は持っていないの?」
と聞くとなんのことか分からないらしい。
「せめてこの旅行代理店の名刺の裏に書いてくれ」
と言うと、
「そんなものはない」
と答える。そこで綺麗な紙に、分かるように、四百ルピー受け取ったと書いてもらい、日付を入れて署名してもらった(宿泊費を前払いした時も必ず領収書を書いてもらう。これは、バックパッカーの多くはやっていることだ。払った、払わない、のトラブルは実際多いのだ)。
始めてアジアを回った時は、地球上の全部の人間に通じると思い込んでいたことが、実は、自分の国に特有なことにすぎなかったと鮮明に気づいた。例えば、堂々と営業を続けている店では、金をごまかしたり、頼んだチケットをとってこなかったりすることはまずない、なんていうのは日本の文化にすぎない。こういうことは日本を出て、自分の足で歩いてみれば、すぐに思い知る。いわば信頼、信用というものがどこまであてになるかということだ。人間はある程度お互いを信用して生活している。疑ってばかりいたら、毎日の生活に疲労困憊し、争いが絶えないだろう。だから、信用せざるを得ない。でも、どこまで信用できるかとなると、これは日本の外では大分違ってくる。
しかし、日本と違うと知っているだけでは不十分。
旅の経験をいろいろ積んでくると、外国を歩くということは、だいたいこういうことであって、こういうふうに行動すれば間違いない、と知らず知らずのうちに決めてしまう。まだわずかばかりの経験で新しい感覚を覚え、信用の範囲、程度が日本のそれより海外では少し狭まることが分かっただけになのに。日本の外の間でも国や地域によってその信用できる程度は違うのだ。確かに今までの経験は生きる。でもそれを越えることが起きる。特にインドでは。思い知ったはずのことでは足りないことを思い知るのは、まだこれからだ。