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親切にもいろいろある、バスは客が満杯になるまで出発しない

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 ところで、明日からの旅のために、私としてはまず鉄道の時刻表が欲しかった。もしかすると、空港に置いてあるかもしれない。そこで、バスチケット売りのおっさんに聞くと、彼はどこかに電話して「お前が話せ」と受話器を渡してきた。しかし、受話器越しのインド人の英語はさっぱり聞き取れない。少なくとも、英語の下手な私には聞き取れないくらい、相手も下手だった。だいいち相手が何処の誰かさえも分からない。向こうにしてみても同じだろう。お互いチンプンカンプンだった。しょうがないからそれぞれ言いたいことだけ言って、何だか分からないうちに‘ガチャン’と電話は切れた。両手を広げて‘こりゃ、だめだー’とやったら、おっさんは、またかけなおした。しかし、結果は同じ。また、‘ガチャン’。三度やっておっさんも投げた。

 これは、結果はどうあれ、おっさんの親切だった。インド人だって親切だ(どこの国にだって親切な人はいるに決まっている。ところが、慣れない国に行くと、いっしょくたに‘~人は’とくくって‘怖い’と思ってしまうのだ)。たとえ、誤魔化してでも旅行者に多くの金を払わせようと狙っている人達でも、根っからの悪人ばかりではない。少しでも金をとろうと考えるのは、それが彼らにとっては生きる術だからだ。貧乏な彼らは、自分より金のある人から少しでも儲けようと思っているだけなのだ。このへんが割り切れてくると、怖がることもなくなり、現地の人との接し方がスムーズになってくる。

 だから、親切にもいろいろあって、やっぱり見返りを期待する親切がほとんどだ。でも、見返りを要求されても断る所は断ればいいのだし、親切を避けて通らなくてもいい。油断させといて荷物をかっぱらうとか、仲良くなって(なったつもりにさせられて)一緒に店で酒を飲んだら、目ン玉飛び出るくらいに請求されたとかいうのでなければ、親切はありがたく受けると旅は楽しくなる。

 このおっさんの場合は、電話の件の親切の後、その見返りとして、日本人を見かけるたびに私の肩を引っぱたき「おい、ここに連れて来い」と命令した。バックパッカーでもない人を無理におんぼろバスに乗せるわけにも行かないので、私は笑って首を振るだけだったが。

 

 バスは客が満杯になるまで出発しない 

 期待はしていなかったが、あと二十分で出発するはずだったバスは一向に来ない。やっと来てもなかなか出発しない。客が満杯になるまで待つつもりだ。

「うちの方が早く出発するから」

と他の客引きから誘いがかかった。すでに払った二十ルピーの引換券を渡せばそれ以上の金はとらないと言う。しかし、彼らは信用できない。いくら出発が遅くても、空港の建物内で売っているおっさんの方が信頼度は高かった。でも、本当かどうかを確かめないで断る手はないので、フランス人の二人連れや他の日本人にも止められたけれども、今すぐ出発するというバスの様子を見に行ってみた。

 客引きの後をついてするするとバスの間を通り抜けると、そこにあったのはタクシーだった。二十ルピーで市内まで行くわけはない。着いたとたんに高額を請求されるか、どこか関係ないところに連れていかれて金をとられるだけだ。バスで確実に行くほうがいい。

「二十ルピーでいいんだ」

と真剣そうな顔で説得する客引きをおいて私は戻った。戻ってみればおっさんは自分の客をもっていこうとする他の客引きと大声で言い争いをしていた。フランス人もしびれが切れて抗議を続ける。その間、客引きがどんどん声をかけてくる。結局バスは約一時間後に出発した。

 いろいろ起こる。騒然としている。混乱している。空港からバスに乗るだけなのだけれど。

 

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  バスが信号で止まった時に、ずた袋を下げた少年と少女がいた。汚い恰好なので最初は物乞いかと思った。だが、彼らは手を出してこない。ずた袋の中を見せてもらうと、プラスチック製のコップだった。何の仕事だろうか。インドには物乞いが多いとさんざん聞いていたから、彼らを誤解してしまった。物乞いどころかその顔は生き生きとしていた。やっぱり仕事をしているからだ。この仕事をすることと、物乞いとはまったく逆だけれども、今まで回ったアジアの国々では、その境目にいる子供たちがとても多かった。これは歩いていればどうしても目に入ってくる。やはり今回のインドでも、これからそういう子供たちと何度も出会う。そして、状況はそれぞれ違って、その度に、どういうふうに接したらいいか考えることになる。