目的地へ行こう

まだたどり着いていない人のブログ。

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カーリー寺院

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 人リクシャーを捕まえて、地下鉄のパーク・ステーションに向かった。朝のこの時間には、水を浴びる人がそちこちで見える。これはネパールでもそうだった。そして何故そちこちで見えるかといると、道端で浴びているからだ。歩道の途中にいきなり井戸があって、その周りで水を浴びたり、石鹸で身体を洗ったりしている。女の人も薄い着物をまとって浴びたりしていて、少しばかり透けていたりする。一方ではイスラム教の女の人が顔さえ見せないのに、一方では透けている。胸丸出しで歩いている物乞いのお婆さんもいた(これは例外?)。こんな所にもインドの多様性が見える。

 しかし、殆ど統一されていることもあった。それは運ちゃんが言われた所に行かないということである。またもや、人リクシャーは私の言ったパーク・ステーションに一回でたどり着かなかった。‘はいここだ’という風に停まった所は、まったく関係のない街角だった。

 もう一つ統一されているのは、道案内もいい加減ということだ。地下鉄カーリーガート駅で電車を降りてから、カーリー寺院までの道順を聞いても、三者三様まったく違う。きれいに三方向に別れた。有名な寺院らしいのに、そこにさえ簡単にはたどり着けない。もう一人に聞いて、確率が二倍になった方向にとりあえず向かった。

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 どうやらその方向は合っていたようで、だんだん道は人通りが多くなり、ヒンドゥーの神をかたどった置物を売っている露店が軒を並べるようになった。人通りさえ多くなれば間違っていない。これが一番確実である。

 カーリーとはヒンドゥー教の神カーリー女神のことだ。そして、カーリー女神というのは、破壊神シヴァ(デリーのシヴァタージマハールの一日を破壊してくれた)の奥さんウマーが変化したもので、これがまたとても怖いらしい。人は彼女を満足させるためにいけにえを捧げる。このいけにえに選ばれているのが山羊である。山羊にとっては迷惑な話だ。だが、ヒンドゥー教の信徒にとっては大事な儀式である。そして、私にとっては観光スポットとなる。ヒンドゥー教徒には失礼で山羊には悪いが興味本位で見に行った。

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 寺院に入ると、人でごった返していてなかなか前に進めない。信徒には建物の中にある女神に参拝することが大事で、その順番を待って院内には長い列が出来上がっている。しかし、私は儀式場を探して奥に奥にと進んだ。そして、いた。並べられた山羊が、血に染まった儀式場に結び付けられていた。