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少年の大きく澄んだ目

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 フィリピンに行ったのはピースボートのツアーだった。ピースボートは、1983年に日本の戦争の跡を見て回ることから始まったNGOで、国際交流のツアーを主催する。そのフィリピンツアーでは、日本のODAによる開発で環境破壊が進んでいる地域や、孤児院、日本人が共に生活をしながら仕事を教えている貧しい地域などを回り、人々に触れてきた。その時、孤児院や貧しい人達に使い古しの服も寄付してきた。自分なりに彼らを少しでも手助けしたいと思っていた。日本に帰ってきてから、そのときの仲間が、もう一度、孤児院に物資をもっていきたいという話を持ちかけてきた。私は喜んで、服や色鉛筆などを箱に詰めて渡した。仲間うちからも予想外に大量の物資が集まった。とてもいいことをしたという満足に、私は浸った。取りまとめた人も喜び勇んでフィリピンに向かった。

 だが、彼は大変なショックを受けて戻ってきた。長年フィリピンに住んでいる日本人から、「余計なことはしてくれるな」ときつく言われて来たのだ。“余計なこと”とはどういうことだ?初めに聞いたときはまったく意味が分からなかった。親に捨てられた孤児たちを少しでも喜ばせてあげようとしたことが、なぜ余計なことなのか。しかし、話しを聞いて私も大きなショックを受けた。フィリピンに住むその日本人が言うには、貧しさは他者との比較から生まれる。より豊かなものがあるから貧しさを感じるようになる。日本人から見れば孤児院の子供たちが着ているものは汚く、食べ物も粗末であるかもしれない。だが、彼らにとってみればそれが普通なのであり、日本人が勝手に貧しいと決め込んで、支援の偽善を振りかざし物資をあげるから、彼らは今の貧しさを感じる。物資をもらった子供はより豊かになるが、貰えなかった人達はより貧しくなり、妬みからそこに争いが生まれる。さらに悪いことに、貰った方は味をしめて自分で働かず、物資が届くのをただ待つようになる。ツアーの時、一緒について案内してくれたフィリピン人が片言の日本語で言っていた。

「子供たちが手をだしても、お金や物はあげないでください。乞食になってしまいます」

その時、私は彼に

「その通りだ」

と言った。だが、本当は分かっていなかった。自分の言葉と裏腹に、支援の名の元で乞食をつくりだそうとしていた。支援という言葉は、使い方によっては偽善に満ち溢れている。ラグナ湖周辺では、日本のODAを使って一部の企業が儲け、住民はつくられた工場からの公害で健康を害し、生きる糧の漁業もできなくなっていた。困っている人達の話を親身になって聞いた気になり、同行した草の根の運動家たちとは「このODAは間違っている」などと偉そうに話し合っていた。だが、それと同根のことを私もやっていたのだ。

 そして、さらに辛辣なことを支援仲間は言われていた。

「お前らのやっていることはただの自己満足だ。良いことをしたといい気になっているだけだ。服だって、捨てるにはもったいなくて困っていたけれど、これを機会に処分できて丁度良かったと思っているんだろう」

図星だった。いつの時か読んだ本に載っていたフィリピン人の言葉を(そしてこれも私は分かった気になっていた)、この長年滞在している日本人も言った。「フィリピンのことはフィリピン人がやるんだ」

 「子供たちを物乞いにしない、ぼられないようにするには」で“彼の働こうとする意欲を買った”、と書いたのは、こういう経験からきている。物資を援助していいのは死ぬか生きるかの瀬戸際の時だけだと思う。

 

 他との比較で人は自分が貧しいことを知る。そして、これから先豊かになる希望がないと分かった時、人は諦めの目を持つ。リクシャーに乗る私に向かって手を差し出した少年の大きく澄んだ目が諦めてしまわないことを、願う。

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