メインバザールに戻った頃には、ニューデリーはすっかり強烈な暑さを取り戻していた。喉はすぐにからからになる。そこでずっと気になっていたフルーツジュース屋に入った。暑い国に行くとこのフルーツジュースがたまらなく、うまい。タイ、マレーシアでは屋台のフルーツジュース屋でしこたま飲んだ。特にマレーシアは、オレンジ、レモン、バナナ、パイナップル、洋梨、パパイヤ、マンゴー、ジャックフルーツ、スターフルーツ等々と種類も豊富。フルーツジュースカントリーだ。その味、爽快さが忘れられなかった私は、ニューデリーで一軒だけ見つけたこのフルーツジュース屋に必ず入ろうと思っていた。
いつも人が集まっているこのフルーツジュース屋では、髭のおじさんが小気味よくミキサーをかける。私はマンゴージュースをノーアイスで一杯ひっかけた。
一気に飲み干し、気分爽快になったところで、旅行代理店にいた髭面の若いのに会った。
「ヘイ、ジャパン!」
相変わらず私はジャパンだ。
「今日カルカッタに行くのか」
「そう今夜ね」
彼は何か言いたげだった。
「土産物を見ていかないか」
誰でも顔見知りの土産物屋を持っているようだ。
「ごめん、土産はいらないんだ」
買ってやりたいところだったが、特に欲しいものはないし、暑い中、荷物は出来るだけ軽くしたかった。残念そうだったが、彼はすぐに諦めた。
「ハイ、お前銀行に行っただろ!」
宣伝男だ。これで声をかけてくるのは何回目だろうか。この時はマンゴージュースのおかげで気分も良かったし、初めて彼に答えた。
「ああ、行ったよ」
「俺のこと覚えてるだろう」
「覚えてるよ」
宣伝男は嬉しそうに笑った。
「俺のとこにちょっと寄ってかないか、Come on!」
どういうところなのかは分からなかったが、もうメインバザールを去るわけだし、せっかくだから軽く話しでもしていこう、と思った。行った先は旅行代理店だった。店内にはだらしなく椅子に座った、ひょろ長い男がいた。黒のグラサンをかけている。宣伝男は言った。
「カシミールに行かないか。美しい所だ」
またカシミールだ。インドでは観光といったらまずカシミールなのだろうか。
「今日カルカッタに行くんだよ」
それを聞いてひょろ長いのは、‘用はないあっちへ行け’と犬でも追い払うように、手を振って、しっしっ、とやった。しっしっ、と。宣伝男は、まあ話しだけでもしようじゃないか、とひょろ長いのを制した。
「いい帽子じゃないか。俺にもかぶらせてくれよ」
嫌な予感もした。だが、ここで外に出てしまっても後味が悪いだろう。宣伝男に帽子を貸した。
「写真撮ってくれよ」
宣伝男はひょろ長いのに帽子をかぶらせ、二人できめのポーズをとった。写真を撮り終わるとひょろ長いのは言った。
「この帽子くれ」
結局こうなる。帽子はやらない。それがなければ炎天下ですぐへたばってしまう。
「それはできない」
返してもらおうと手を出すと、ひょろ長いのは帽子を後ろ手に隠した。
「これは俺たちのだ」
でた。嫌な予感は当たった。宣伝男もひょろ長いのに加勢した。最初は、刺激しないように、そーっと手を伸ばした。ひょろ長いのは、さっとそれを避けた。こうなったら力ずくだ。帽子をめぐって取り合いとなった。私にとられそうになると二人で帽子をパスしあった。
「ヒャーッ」
奴らは奇声をあげて喜んだ。こんな取り合いっこなんて子供のとき以来だ。ばかばかしい。すぐに疲れてきたし、奴らは一向に返す気配もなかった。あまりやりたくはないのだが、終わりにしたくなった。
「ふざけんじゃねえぞ!」
インド人に日本語を使ったのはこれで二回目だ。固まってしまった宣伝男から取り返して、Silver Palaceに戻った。