目的地へ行こう

まだたどり着いていない人のブログ。

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多様な人々

 カルカッタで中心的な道路となるチョーロンギー通りには、地下鉄が走っている。カルカッタを動くには、この地下鉄を使うとすごく便利だ。サダル・ストリートの近くにはパーク・ストリート駅があった。まずは、その駅に向かった。

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 Timestarからは二分も歩けばチョーロンギーに出る。そこは片側二車線の大通りだ。歩道も五メートルはある。その歩道にでかい絵を描いているおじさんがいた。キリストの絵だ。縦二メートル半、横一メートル半はある。その絵は、白、赤、ピンク、オレンジ、黄色、青を使い、鮮やかな衣服をまとったキリストがチョークで描かれていた。そして絵の一番上には“HELP ME”と書かれている。なかなか上手い。ありがたいキリストの絵であるからか、その上には硬貨が沢山投げ込まれていた。絵を描いたおじさんは、敬虔なキリスト教徒なのか、賢い商売人なのかは分からない。だが、側で遊んでいる子供たちは、この絵からの利益で暮らしているのだろう。キリストは彼らを助けていた。

 地下鉄は近代的で綺麗かつ安全だ。改札は自動化が進んでいる。大きなゴミは落ちていないし、入口に警備員が立っているからホームレスは一切入り込んでいない。アメリカ合衆国にあるような汚く危ない地下鉄(当時)ではない。

 それに乗って、一つ先のマイダン駅まで行った。インフォーメーションで舞踊のチケットとカルカッタの地図を得るためだ。十分ほど歩くとそこに着いた。中は広く、綺麗で、落ちついた雰囲気だ。市内観光専門のデスクを案内されると、そこには男三人が座っていた。向かって左がごく一般的なインド人、真ん中がネパール系、右が小太りで額の後退が進行しているおやじだった。中心はネパーリーで彼が地図を色々持ち出してきて、舞踊やカルカッタについて事細かに説明してくれた。一般的なインド人がそれをフォローし、小太りのおやじがちゃちゃを入れた。バスの車掌でも、店員でもインドでは何故か関係のない人が何人か側によくいる。仕事はしていないが、いるのだ。これは雇用の機会を増やすためではないかと思う。そうでなければ、小太り親父も何故インフォーメーションにいるのか分からない。冗談を言う仕事を受け持っているとは思えない。

「君の腕時計いくらなら売る?」

彼は、この時だけ真剣だった。そして、これが一番笑えた。

 

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 カルカッタはデリーとは雰囲気が違うのではないか、と感じ始めていた。路上で寝る沢山の人々をいきなり見たということ、注射を回し打ちしている場を見たということ、この辺が私の印象に影響を与えていた。そしてまた、拡声器で音楽を流しながら何やら訴えているトラックを見た。赤い旗を掲げている。共産主義者たちである。リクシャーにまで赤い旗を掲げ、何台も連なって走っていた。次の日には、赤い旗ばかりの通りも見ることになった。デリーでは見なかった光景だ。インド全体で見れば、宗教も様々なものが混じっているし、言葉も民族も多様だ。カシミールの方ではゲリラがいるし、あちこちで衝突がある。日本は、近頃、価値観が多様化したとか言っているが、インドに比べればすこぶる単一的でまとまっている。例えば、東京と熊本でも、中に入ってみれば随分考え方が違う所も分かってくるが、町を歩いただけではすぐには雰囲気の違いを感じない。しかし、インドでは同じ大都市のカルカッタとデリーでも雰囲気が少し違う。メインバザールにいた“銀行で会っただろ!”の宣伝男、カルカッタには彼みたいなタイプは何かマッチしない。イメージとして。じめじめした気候も私の印象に影響を与えているのかもしれない。それともこの気候が町全体に影響を与えているのか。わずかな時間でのイメージとして、そんな違いを感じた。